株式会社Dr.トレーニング 代表取締役
山口 元紀
1984年、群馬県高崎市生まれ。小学2年生の時に兄の影響で野球を始め、高校卒業後に日本大学に入学。大学4年生まで野球漬けの日々を送る。高校時代の怪我が原因で、大会に出場することができなかった悔しい思いから、大学卒業後はトレーナーになる道を選択した。世界一のトレーナーを目指し、テキサス工科大学院健康科学センターへ進学。2年間の大学院生活を経てBOC-ATC(米国の準医療資格)に合格。卒業後は、メジャ―リーグ3球団でトレーナーとしての臨床経験を磨く。2015年に、日本で株式会社Dr.トレーニングを設立。「アメリカでは当たり前の『国家資格トレーナー』を日本でも当たり前の資格にする」ことに奔走している。現在はパーソナル事業、セミパーソナル事業、サプリメント開発事業、トレーナー養成スクールの運営と幅広くヘルスケア産業の発展に貢献し、海外を見据えた活動も展開している。
「自分が野球をする立場から、野球選手を支える」立場へ。
小学2年生の時、兄の練習を見に行ったことをきっかけに野球を始めました。監督からの指導は厳しかったですが「時間をかけて最後までやること」を丁寧に教えて頂きました。その教えとプロ野球選手になる夢が支えとなり「とことん最後までやる」という私の基盤が、学生時代にでき上がったのです。高校生の時には甲子園出場を目指して努力を重ねるも、その夢を叶えることができなかったどころか、骨折などの怪我に見舞われてしまいました。これまで野球に打ち込んできたこともあり「やり切った感」と「新しいことを経験したい」気持ちから、大学ではスポーツ医学を学ぶために日本大学へ進学することを決意。勉強をするよりも、思う存分に友人と遊び、自由気ままな大学生生活を送っていました。
しかしそんな中で「何かやらなくてはならない」という虚無感と焦りを突然感じました。その時、トレーナーへの道を示唆して頂いたことをきっかけに、野球の再開と同時に、英語の勉強を大学2年生から開始したのです。大学卒業後の進路を決めるにあたって「英語の勉強は続けたい」「トレーナーになるなら最高峰の資格を取得したい」「海外を経験したい」という3つが重なり、アメリカ留学を決意。渡米後、4年制大学にて2学期間勉強し、テキサス工科大学院 健康科学センターへ進学しました。
大学院卒業後は、メジャーリーグ球団でトレーナーとして経験を積むことにしました。球団キャンプ地へアポなしで訪問し、タンパベイレイズとニューヨークヤンキースの2チームからトレーナーとしてのオファーを頂きました。その結果、タンパベイレイズでトレーナーとしての仕事を始めました。そこから1年半ほどの年月が過ぎた時「別のシステムも見てみたい」という思いから、ボストンレッドソックスへ移籍。「再生工場」と呼ばれるレッドソックスにて、リハビリのシステムを学んできました。
「自分が野球をする立場」から、「野球選手を支える」立場へ。世界一のチームで、超一流のメンバーの中で経験を積み、世界一への挑戦をしていました。しかし経験と学びを重ねていく内に、虚無感を覚える自分がいたことに気付いたのです。これまで生きるために英語学習を始め、アメリカでの生活もトレーナーとしての仕事も、死ぬ気で向き合ってきました。しかし夢が叶い、安定した働きの中で、学生時代に感じた「何かやらなければならない」という熱意が再燃したのです。そんな時にビザの取得ができないことが決まり、アメリカにいられなくなり、日本での起業を決意して帰国しました。
メディカルパーソナルジムとして、日本一の実績を残せるまでに成長
日本へ帰国し、一般企業で数年間の正社員を経験した後、株式会社Dr.トレーニングを創業。帰国時に意識していた起業ですが「本当にこれが自分のしたいことか」と考える期間を数年間過ごしました。その間はフィットネス業界に身を置き、日本の組織を肌で感じました。そこで感じたのは、組織への違和感。アメリカはピラミッド組織ではなく、みんなが円になって仕事に取り組んでいくイメージで、キャリアに対しても「どうすればこうなる」というような未来が見える状態でした。その状態は、自分が描いていた「世界にインパクトを与える」とはほど遠く感じたのです。
そしてこれまでの世界一の野球チームでの経験を活かして「日本で世界を目指そう」と起業し、「Dr.トレーニングを世界の文化にする」というビジョンのもと、世界に誇れるサービス・組織・メンバーを作り上げるために奮闘しました。その頃まだ日本では浸透していなかったパーソナルトレーニングに焦点を合わせ、その当時、最も競争の激しかった恵比寿にて、1店舗目をオープン。今では店舗数は合計で27店舗になり、東京、大阪、神奈川、兵庫へと拠点を拡大しました(福岡へも出店予定)。そして、メディカルパーソナルジムとしては日本一の実績を残せるまでに成長してきたのです。
トレーナーという仕事が国家資格になるように走り続ける
トレーナーの仕事は今でこそ、日本の多くの会社で事業展開されるようになり、トレーナーを目指す人も増えてきました。しかし、日本でトレーナーの仕事をするために必要な資格はありません。言ってしまえば、誰にでもなれてしまうような職業です。働き方に関しても、自由が利かず、夜は遅くて朝は早いという場合もあり、離職率が高い仕事です。
そこで私はトレーナーという仕事を「もっと誇れる仕事」にしていきたいと思っています。
今まで取り組んできたことの結果として、弊社社員の5年間の離職率は0%です。メンバーによっては月に70〜80万円ほど稼ぎ、実力や実績が評価される環境を整えています。国家資格がない以上、トレーナーという仕事は自分の好きなことの延長線上であることが多いはずです。そのため、働き始めたらしんどいことやつらいことも増え「楽しい」という感情だけでは仕事ができなくなってしまいます。そうなった時のために、社内環境を良くして働きやすい環境を整えているのです。「本気で変わりたい!」と思うお客様を「なんとしてでも良くしたい!」という覚悟がある人にとって、弊社は働くのに最適な環境です。アメリカではトレーナーという仕事が国家資格であり、医者と同等の仕事として認められています。日本でもトレーナーが国家資格となることを目指して、この先も走っていきます。
「世界のDr.トレーニング」と呼ばれるまで、何が何でも死ねない
トレーナーになるまでは「世界一のトレーナーになる」「プロ野球選手になる」など、明確な目標がありました。しかし現在の27店舗展開も明確に目指していたわけではないように、経営者としてわかりやすい目標を立てているわけではありません。常に楽しいと思えることを、目の前のことに必死になって全力で取り組んできた結果が、現在の店舗展開に繋がったのです。
一企業として、世界で戦いたい。「世界のDr.トレーニング」と呼ばれるまで、死ねない。死ぬまでに何が何でもこの夢を叶えます。「どこまで行っても経営者」「どこまで行ってもトレーナー」この2軸の共通言語をうまく世界に組み込んでいきながら、自分達にしかできないことにフォーカスして、世界にイノベーションを起こしていきます。